京都上桂をベースとする共同体

2010/03/24

よっちゃんとトイレ

parasolのトイレには外鍵がかかっている。
もともと店舗用の造りだからかどうかは知らないが、1階からでも2階からでも、ともかくトイレに行くためには一度外にでなければならない。
トイレは一般道に面しておらず、私有の敷地内だ。
なので、町中の公衆便所のように誰もが使用しやすい状況でもないし、よほどのことがない限りそのトイレを利用したいと思う人もいないだろう。

parasolを借りてすぐに、そのトイレの外鍵をかけるか、かけないかを話し合った。
不特定の人間が滞在したり、イベントの際には多数の人が訪れる可能性がある。
トイレを利用したい人は、いちいち鍵を借り、外鍵を開け、中に入って内鍵をかけ、用を足して外に出た後、再び外鍵をかけて管理人に返す。
当たり前に面倒だ。
なせわざわざ自分が尿意を催していることや、それから解放されたことを人に知らせなければならない。

けれど、私は外鍵をかけることを主張した。

結末としては、外鍵をかけるが鍵自体はparasolのスペース内に置き、自由に持っていけるようにすること、イベント中は開け放しておくこととなったが、「外鍵のあるトイレ」という状態は守りたかった。


というのは、上桂には「よっちゃん」がいるからだ。

「よっちゃん」は上桂にずっと住んでいる。
けれど、「よっちゃんの家」がそこにあるわけではない。
たぶん、近くの神社が寝床だ。
「よっちゃん」は仕事をしていない。お金を持っている様子もない。荷物もそんなになさそうだ。
いつも同じ服を着ていて、ポケットに手を突っ込んで、道ばたに座ったり、じっと何かを見つめたりしている。
昼間に見かけることもあるし、深夜に見かけることもある。
年齢は40代にも50代にも見える。女性には見えないので、男性だろう。
ルンペン、ホームレス、浮浪者、、、そのどれかなのかもしれないけれど、どの言葉もしっくりこない。
その人物が「よっちゃん」と呼ばれていることを知ったのは、上桂在住暦の長い知人と話をしているときに、ある場所を指し示すのに「よっちゃんのいるあたり」という表現が使われたからだ。そのとき、それ以上のことは聞かなかったが、聞くほどのことでもないように、当然のように「よっちゃん」は「よっちゃん」として話されていた。

「クリーニング屋のよっちゃん」でも「酔っぱらいのよっちゃん」でも「前田町のよっちゃん」でもない「よっちゃん」。
「よっちゃん」であることの理由が、名前が「よしお」だったり「ようすけ」だったりするからかもわからない。
「よっちゃん」であるだけの「よっちゃん」。
そのことに、私は驚き、少しの憧れを抱き、ちょっと怖くなった。

その「よっちゃん」がある日、parasolの前でじーっと佇んでいたことがある。
何かを見ているようでもあるし、何かを探っているようでもあるし、何も考えていないようにも見える。
「よっちゃん」は人に害を加えるようなことはしなさそうだし、そうする必要もなさそうだ。
けれど私はトイレの外鍵について話しながら、「よっちゃん」がparasolのトイレの外鍵がかかってないことを発見し、使えると思って使いだし、ある日ズボンのチャックに手をかけながらでてきた所で私と偶然出会う、なんて場面を想像してなんだか怖くなり、外鍵をかけることを主張した。
(それにしても、よっちゃんはどこのトイレを使っているんだろう??)


実際にトイレに外鍵をかけないことにして「よっちゃん」もしくはparasol関係者以外がトイレを使用したなら、それは水道使用料うんぬんの話で問題ではあるのだけれど、そういったことではなくて、得体の知れないものに対して勝手に懐疑を抱き現実的にも象徴的にも鍵を閉める私の心理を、私自身疑いながら、とりあえず今は外鍵がかかっている状態。
そして、parasol=私では全然ないのだけれど、トイレの鍵を見る度、私はparasolが開かれた場になりうるかと考えてしまう。
もし、全く知らない人が接触してきたときに、どういう対応ができるだろうかと考えてしまう。また、よしんば「よっちゃん」(=全く知らない人)がどこに生まれ、何歳で、何を生業にしていて、どういう経緯でそうなったかを自分のわかる言葉で知ったとして、それなら、と受け入れることが本当に開かれていることだろうかとも思う。

それから、「よっちゃん」が「よっちゃん」として生活している『この辺』こそ、
『京都上桂をベースとする共同体。
アーティストやキュレーターなど様々な形で文化芸術事業に従事しているもの。そうでないもの。
その振れ幅の中で、互いに有機的な連帯を形成しながらも、それぞれの意思で自発的に活動を行っている。』(Collective ParasolブログのABOUTページより引用)
という文が指し示す状況なんじゃないかとも思う。


さて、長々と書いた結論もしくはこの文章の主旨。
parasolで私が実践したいことについて、本音を話したことはないし、あるかどうかも疑わしい、あったって言うものか。けれどまあ、parasolと関わっていきながら、私と象徴的な意味での「よっちゃん」の関係が変化していくかはちょっと興味がある。
というわけで、これからparasolにいらっしゃる方は、そのたびトイレの鍵がどうなっているか、ぜひご覧下さい☆

(記:中島)

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