京都上桂をベースとする共同体

2010/08/17

アートとアクセシビリティについて考える夜

「アートとアクセシビリティについて考える夜」

[日程] 8月21日(土)
[時間] 19時より21時まで
[会場] Collective Parasol 1階
[料金] 無料。予約不要。

[企画]
山本握微
普通芸術家。劇団乾杯主宰。この度、ご縁がありまして。
http://www.kiwamari.org/

[ゲスト]
米子匡司
音楽家。FLOAT管理人。「余所見」主宰。
http://www.chochopin.net/
http://www.yosomi.jp/

[進行予定]
第1部 アートとアクセシビリティに関する握微のアクション
第2部 「余所見」は何処を見ているの?
第3部 最終秘儀「SEN」

[口上]

こんな体験したことないですか。あー展覧会今日までだっけかと思ってお出掛けしようと、あの美術館なんだかんだで行くの初めてやわ何処にあるんそういえば、つってネットで検索、すぐにサイト見つかってネット社会恐るべし、と現代人の喜び噛み締めるも束の間、トップページにゆっくり浮かび上がる意味無いアニメーションに苛々、急いでいるのにー、やっと小さな「SKIP」見つけてランランラン、で場所どこや、と探すも、わかってるちゅうねん開催中の情報とか「次の展覧会」「友の会のご案内」とか色んな項目の中から、肝心要「地図」とか「場所」とか載っていなくて、どうすりゃいいの、かにかにどこかに?と途方に暮れていたら、右上辺りに「美術館概要」と、これだけ特権的に見辛くしているような文字、ここかなとクリックすると「そも宇宙開闢云々」と美術館が出来た歴史長々と、いよいよ絶望して目を伏すと更に細分化されたところに「Access」の横文字、すわ苦し紛れにクリックしてようやっと正解、地図の画像、そうだこの画像を携帯に入れて持っていこー、と保存して携帯へ転送、で単独で見たらGIF画像で白だった背景色が黒になって読めない、なんてこと。別にないですか。「アクセスって悪戦苦闘の略かい!」って突っ込んだこと、ないですか。そうですか。

アクセシビリティとは文字通り、アクセスのし易さ、近づき易さ、のこと。例えば建築に於いては「バリアフリー」なんかも関係するかと思いますが、そもそもそこに辿り着くための「情報」も、その範疇にあるかと考えます。
アートと社会性・公共性が結び付けられて語られる昨今、しかし何故、そこに辿り着く人は限られているのか。そこにいるのは「それっぽい」人たちだけなのか。アートとアクセシビリティについて考えることは、告知における実用的なノウハウだけでなく、現状のアートをより根源的に問うことにも成り得るでしょう。

とにもかくにも、アートが「あってしまった」今、観客として、そして作家として、如何にしてアートにアクセスするのか。

山本が実体験したアートの事件事故(京都に多いのは何故でしょう)と、有形無形幾つかの試みや妄想……アートNPO告発作品「サヨナラNPO(ニッポン)」、イベント情報共有メーリングリスト「今行処」、公募展連続落選「全藝術展」「カムインカム展」、モジュール型演劇を目論む「劇団一般化」、某トリエンナーレの参加者にナーレ「AAAAA」、そして最終秘儀「SEN」……等を惜しみなく紹介、叩き台にして、お話しましょう。

また、音楽家にしてオープンスペース・FLOATの管理人、米子匡司さんをゲストに招き、現在公開製作中のウェブマガジン「余所見」についてお話を伺いたいと思います。かつては「文化のLPガス」とも称されたL誌もP誌も紙媒体として消えつつある今、「人の視点」を出発点としたこの媒体がどのようなアクセスを導くか。その発端と、今後の展開をお伺いしたいと思います。
また、プログラマー、ウェブデザイナーとして、各種の「情報」に関わる立場からも、あわよくばお話を聞きだしたいと目論んでいます。


この企画に併せ、山本握微「運動展 *碑*」もささやかに開催中。窓辺に置いてあるので、時間に関係なく外からご覧いただけます。アクセシブルですね。夜だと暗くて見えないかもしれませんが。

1 comment:

  1. ブログの「投稿日付」と、投稿内容の「イベント日付」の不一致もまた、厄介な問題ですね。どっちに統一する?Which?!
    「ブログ」なるもののアクセシビリティの悪さについても多分、取り上げることでしょう。

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