記念すべきパラソル通信第一回目は、私、増本が京都で何をやっているのかについて。
※このパラソル通信の執筆者は増本のみである。
現在東京に拠点を持ちつつ、パラソルを主に京都にもその活動の場を広げようとしていると僕自身の活動をイメージしている方も多いのではなかろうか。活動の拠点、非常に妙な言い回しな気がしてならない、スタイルによってしっくりくる方もいらっしゃるのではと思いつつ、僕の場合はそこまでしっくりとはこない。単に、生活の場が東京と京都にあるにすぎない。つまり、一ヶ月の半分を東京で、残りを京都で過ごしているだけのことである。
ダブルホームなのかな???いや、そもそもホームという概念が僕自身にない。HIPHOPなどストリートで活動するクリエイターたちの多くに共通の認識としてあるローカル意識。広島生まれの岡山出身、高校は静岡で、大学から神奈川、東京、ポルトガル、東京。という感じで、2年〜3年おきに移り住んでいる個人史のおかげで、地元愛を持てないでいる。そうした人々を羨ましく思いつつも、自分の立ち位置はそこには決してない。
では、京都をベースとするパラソルは自分にとって何なのか???それは、場に依拠しない(実際はしている)人の連帯の可能性を探ることであり、その連帯から生まれる活動や人間ドラマがいかようなものか、そして、広い意味で社会的な様々な事象に言及していくことができるのかにつきる。つまり、パーソナルなアクションを媒介に社会と接続する方法であり、そもそも僕の映像作品その他とばっちりと共通することである。
なので、僕自身に限ってのことだが、パラソルという共同体自体が作品であると断言できる。自身の映像やパフォーマンスとは別のかたちでの非物質的な作品。あるいは、研究や実験などという言葉に置き換えれるものであり、美術/芸術という概念を拡張するものであると思っている。まぁそうした考えを現在せっせとひとつずつ実証している最中といっていいのではなかろうか。
もっと言えば、流動的なメンバーで構成されるパラソルが、参加者それぞれの活動とその性質がゆえに否応無く外部に喚起してしまういわゆる「共同体」というイメージ。あるいは、活発なメンバーのイメージをパラソルのイメージとして捉えてしまう可能性。その他もろもろ含めてのすべてを引き受けつつ、そして、パラソルが何かに向かっているとするなら、その過程を吟味し、無数に起こる様々な出来事自体の社会的な意味を考えるだけでなく、実際に社会に対して企画を通してがっつりと足跡を残してみることがこの「コレクティブ・パラソル」という作品における僕の本当のねらいである。と言ってしまおう。
などとなんやかんや適当に思いのたけをぶちまけつつ、他の参加者の活動から刺激をもらいつつ、じゃ〜実際京都で僕は何をやっているかと具体的に伝えてないので、手始めにまず以下車を購入しました。この機動力を駆使しフィールドワークを・・・とは良く言ったもので、実際はドライブという遊びをやりながら、ドライブという休日の過ごし方のひとつに必ずあげられるであろう選択肢の社会的な意味を多角的に考えている。と言っておこう。続きは次回に・・・
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